其処にいてくれる誰かへ。

ひたすらハンドスタンドの練習をしている。

ようやくふわりと脚があがるようになり、希に壁に頼らずポーズに入れるようにもなってきた。

 

しかしそれは、向こう側に壁があるからできることであって、

あるいは、信頼できる誰かが横に立っていてくれるときに限る。

 

ひとり部屋の真ん中で同じことを試みても、へっぴり腰になって、脚を振り上げることすらできない。

 

脚を上げるタイミング、身体を支える筋力、それらは確かに得られつつある。

けれど壁がない、支えてくれる誰かがいないことで、私のそれらの能力は完全に失われる。

言うまでもなく、怖さが原因だ。

 

 

 

 

守られている、人はそう実感することで、安心感を得られ、そこからさらに、果敢に挑戦しようという気持ちが芽生えてくる。

 

「いつでも帰って来なさい」と両親にかけられた言葉で、なんともいえない充足を得られたという人は、きっときっと多い。

 

夫婦や恋人同士だって、きっと互いにそういう存在として認めあっている。

 

 

 

 

いざという時に、支えてくれる、応援してくれる誰かがいてくれるからこそ、

”自分の力で生きていこう” なんていう、そんな強気な意思も生まれてくるのだろう。

 

けれど時々、自分の力だけで頑張っているんだ!なんていう傲慢さへと膨れ上がっていることに気がつき、情けなくなる時がある。

 

そんなことで少し後悔の日々を過ごしている。

 

 

 

 

もしもいま、自分の目の前から、この人がいなくなったら、あの人がいなくなったら、

自分の力だけで維持していたと思っていたはずの強気な姿勢は、とたんに恐怖に怯え、
見事に崩れ落ちるだろう。

 

挑戦のために自ら発揮する力強さ、守られていることに感謝する謙虚さ、

フラフラと揺れ動く私のハンドスタンドは、そのバランスを探る旅であり、今いちばんの課題だ。

 

 

 

 

-Noriko-

 

 

 

 

 

 

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