自分が自分のままではいけない時がある その2。

前回の続きです。それは我が家にとって、深刻な状況だった時期の、ある日の父と母の会話でした。

 

 

小さなアパレル会社を経営していた父。40年もやっていれば、経営状況の浮き沈みは何度となく訪れましたが、決して弱音は吐くことなく、気丈に振る舞い持ち堪えてきました。

 

その父も母も、本気でもうダメかもしれないと弱腰になったことが一度だけあります。

 

 

その頃は従業員も少なかったので、一般的な目で見たら、会社を閉じることの方が賢明な判断とも言えたかもしれません。

 

母がこう言いました。

「お父さん、私、パートに働きに出たようかしら。」

 

 

結婚して以来、ずっと父の仕事を手伝っていたので他所に働きに出ることなんてなかった母。小さいながらも経営者の妻であったので、景気のいい時は専業主婦でもありました。

 

世間体には経営者の妻と見られていたので

腹を割って稼ぎに出かけるのは、少なからず勇気のいる発言だったと思います。

なのでまったく悪気のない提案でした。

 

 

 

世間体には経営者の妻ー それは父にとっても同じでした。

 

 

 

「お前、俺が周りからどう見られるか、想像してからものを言えよ。」

 

他所で妻が働く姿を晒すということに、父はとても悲しく、許し難かったのです。

 

 

 

生活はギリギリでしたが、母は働きに出ず父の誇りを守りました。

 

"あの家の奥さん、何処そこに働きに出てるらしいよ"

なんて誰かが面白おかしく笑うのであれば、お父さんが悲しむだろうと。

 

二人の決心は、会社を再建するぞ!という約束事ともなったのか、力を合わせ会社を再建させていったのです。

 

 

 

 

 

私たちは意外にも多くの他人の姿を背負っているものです。

 

例えば社員の顔つき、顔ツヤ、言葉遣いなどの常識等からは社長や上司の人となりを想像されることもあると思います。

 

自分のことははどうでもいいと思っていても、社長や上司が大好きならば、そのままじゃいけない場合もあるかもしれません。

 

 

 

 

私でいうなら師匠の教えだと思っています。

"誰々に教わっている"と言うにであれば、その看板を背負っているという覚悟が必要です。

 

私のスタジオが潰れることがあったならば、

「なんだ、ヨガ解剖学、ダメじゃん。」と言われるだろうし

 

私にスタジオが順調に回っていれば

「ヨガ解剖学ってすごい!」って思われるかもしれません。

 

 

背負ってね、とお願いされたことはありませんが。そういうものです。

 

 

 

 

さて、あなたはいったい誰の姿を映しているでしょうか。